表具の世界

表具の世界

 現在「表具師(ひょうぐし)」と呼ばれる者が手掛ける仕事の内容は、実に様々な分野に及んでいる。

それは、私達の生活形態の変化に伴って必然的に起こってきたことで、仕事内容を遡って見直すことにより、その時々の人々の生活や習慣といったものが見えてくるから面白い。

 

京都では多くの文化が生み出されてきた。理由としてロケーションが挙げられる。

京都という土地は、天皇家との関わりから様々な職種の人々が集まり、文化発展が起こってきた。ただし、一般的に公家社会が保つ秩序は簡単に乱れてしまうものではなかった。ゆえに、制約を受けながらも、ある種の品位を保ちながらの進化だったのではないかと考えられる。つまり、年月をかけて出来上がった格式が、その当時の文化を支える技術を進化させて人々の生活にも影響し、相互の関係性を保ちながら現在に繋がっているのだろう。

 例えば中国から渡来した(かみ)()きの技法と「韓紙」の存在によって、日本の政事(まつりごと)には大きな変化があった。ところが、日本人は紙漉きの製造工程にもうひと手間加えて、材料の攪拌に工夫し、今までの紙よりも遥かに強く長持ちする「和紙」を開発した。これにより、日本の紙文化の発展は一気に加速して、今に至る日本特有の「和の文化」を形成し、支え続けていく力となっている。我々表具師の関わる仕事の種類や量は文化革命によって著しく増加したが、現在まで仕事として残っている物もあれば、なくなってしまった物もある。

 建築様式が寝殿造りの頃は、大広間をパーテーションで区切るよう、あちこちに開けた穴に柱を建て、風除けのために現在で言う処の衝立や屏風をその都度置き、必要に応じて仕切りとしていた。時が経ち、桃山時代の書院造りの頃になると柱は固定され、現在の部屋が出来た。その部屋内の壁面には、二条城で見られるような絢爛豪華な装飾が施され、そのような部屋が何室も続く建築様式によって、来客者に威圧感を与える権力志向が顕著になった。また、寺社関連の建築物では、墨跡による山水画が多く描かれた。現在こういった検証ができるのも、和紙の開発と修理・修復を含めた表具師の仕事全般が、今に至る時代をしっかりと支えてきたからだといえる。

 こういった華美ともいえる方向性に反して現在お茶室等で見られる数寄家風建築も大きな流れの一つとして台頭する。面白いことに、どの時代の、どの建築様式にも、それぞれの方向性を極めたある種のセンスが感じられる。

 一般的に日本の家屋にはどことはなしに、あかりが漏れてきたり、外部からの空気が流れている。いわゆる、ちょっと抜けた空間なのだ。ところが、その抜けが自然のエネルギーと作用し、巧みにそれを利用している。

 例えば、京都の町屋は細長いものが多く「鰻の寝床」などと呼ばれ、その中程には坪庭を配す。これにより気化熱効果が生じ、自然な風の通り道ができる。夏の高湿度の京都での生活には、必要不可欠なのだ。その上100%天然物だから、体にも悪くない。自然のエネルギーをさらっと取り入れており、昨今の代替エネルギーに比べ、遥かに無理が無いように思う。

 そこには日本人がずっと大切に育んできた利他の心があって、我々表具師が、作品を通して提供したいと思っている「表具の世界」というのは、正に気配りの世界に他ならない。

 隙間が生み出す文化には、四季のあるこの国で自然と共生するための人々の暮らしのちょっとした工夫と知恵、そして周りに対する思いやりが詰まっていると思っているのだが、果たして皆さんははどう思われるのであろうか。